2005年5月
 
 
祭の日の朝
春の高山祭 屋台特別曳き揃え
 
 
 4月23日の朝は、快晴。
 朝6時半に家を出て、8時半には高山市内に着くことができた。思っていたより早い。東海北陸自動車道の威力を実感する。開通前は、高山といえば片道3時間。東京よりも遠いところだったというのに。
 曳き揃えは10時頃の予定だったのでずいぶん早く着いてしまったが、まちを歩いてみる。高山祭を見たことはないが、高山には何度か来ている。朝早い時間とはいえ、朝市は相変わらず人でいっぱいだし、上三之町も観光客で賑わっている。
 けれどこの日の町並みはいつもと違っていた。上一之町など、店舗がまばら(住家が多い)な道筋にも提灯や花が立てられている。道路脇に直径五センチほどの穴が空いていて、そこに人の背丈よりも高い支柱が立てられ、提灯や花が吊されている。それは町によって違う。ある町では提灯だし、ある町では花だ。そして支柱を立てるための穴の形も違う。ある町では正方形だし、ある町では円だ。まちによって支柱の形が異なるのだ。その穴一つを開けるについても、道路を舗装する高山市と住民との間にいろいろなやりとりがあったに違いない、きっと。高山市のその気の使いようにちょっと感動してしまう。
 一口に高山祭と言うが、春の高山祭は、旧高山城下南半分の氏神様・日枝神社(山王様)の例祭のことで、秋の高山祭は北半分の氏神様・桜山八幡宮の例祭のことを指す。屋台を曳くのも守るのも、それぞれの町に住む人達だ。それぞれの道筋で、花や提灯が違うのも町が違うからだ。道筋が一つ違うだけでも、花が違っていれば、それはその人達の曳く屋台が違うということだ。
 今回は、高山市合併記念事業として、今年二度目の春の高山祭となったわけだが、やはり主役は住民だ。この実現に向け、きっと高山市はずいぶんと骨折ったに違いないなんて、ついつい考えてしまう。中心市街地から人が減って、屋台を曳く人足を集めるだけでも苦労する町内もあると聞く。けれどそれはよそ者には任せない。一部ボランティアに手伝ってもらう屋台もあるようだが、安易に人には任せない。ましてや商業ベースには乗せない。そうして自分たちの屋台を守り、それに誇りを持つのだ。
 家を出る子供が、屋台脇でくつろぐ父親に走り寄る。楼上に子供が乗っている屋台もある。子供も皆盛装だ。盛装して屋台の上から我々を見下ろすのはどんな気分だろうか。それはそのまちに住む子供の特権だ。我々はどんなにうらやましくとも上ることはおろか触れることもできない。こうして誇りというものは醸成されるのに違いない。
 
 
朝の景色、朝の空気
 
 正直なところ、早すぎるほどの時間に高山に到着してしまったと思ったが、小一時間ほどの散策で、そんな思いは吹き飛んだ。町並みに立つ花々もうれしいし、屋台蔵が開かれているのも初めて見た。開け放した屋台蔵を見る機会などそうそうあるものではない。次は蔵を出立する屋台を是非見たいものだ。
 そして何が違うって、まちの雰囲気が違う。まちがざわついている。観光客はともかく、そうではない人達、そこに住む人達でまちがざわついている。なんとなくうれしい。なんとなく気分が浮き立つ。そんな感じ。
 法被を着た子供が走り回る。お母さんが庭先で子供を呼ぶ。浅草浅草寺の祭りのように、やたら賑やか、やたら人間だらけというのとは違う、静かなのになんだか気分がざわつく、少しうきうきする、なんだか笑みがこぼれる、そんな空気がある。祭の日の朝なのだ。
 なんだか私までうれしくしてしまう空気がある。この空気を味わっただけでも大正解だ。しかも、この日、桜は満開だった。宮川沿い、紅い中橋の向こうに見える桜は何とも言えず美しい。
 
 屋台は朝10時を目指してぼつぼつ集まってくる。早々に所定の場所に収まって、遠巻きに見る観光客をよそに、煙草をふかす親父もいれば、屋台の脇に車座になって缶ビールを空けている男達もある。そうかと思えば、まちの端ではようやく屋台蔵から引き出されて動き出し始めた屋台もある。そんなゆったりとした時間が楽しい。10時に曳き揃えだからって誰も慌てたりしない。おい、そろそろ行くぞ、そんな感じで屋台は動く。そしていくらも動かないうちに交差点で立ち止まる。いったん屋台を持ち上げ、ゆっくりと方向転換
 高山には屋台会館があって、高山祭でなくとも一年中屋台を見ることができる(一度に4台。屋台は入れ替え制)。私も何度か見た。けれど動いている屋台を見るのは初めてだ。きらきら光る装飾も美しいが、方向転換の仕組みもおもしろい。映像では見たことがあるが、実物を目の前にし、動くのにかかる時間と同じ時間かけて見るのはうれしい。初老の男性が声をかけ、若い男性が10人ほどで綱を引く、後ろから押す。舵棒のようなものを持つ人もある。それがゆっくりゆっくり進む。坂道で停まる。とても傾斜があると思えない場所で停まる。今停まったら動けないぞ、初老の男性が声をかけ、自らも綱を引き声をかけながら進む。
 御輿のような躍動感はない。動きは非常に緩慢で静かだ。けれど、とんでもなく大きく重いものがゆっくりと滑るように動いていく。とても不思議な感じがする。屋台を曳く男達に汗が浮いている。屋台そのものは静かだし、男達の動きにも躍動感はない。ただ、汗と腕の筋肉に力強さと重さを感ずるのだ。
 
 やはり実際に見に行ってよかった。映像では浮き立つ気分はわからないし、やはり何事もこの目で見なくては。
 
    
※屋台の方向転換
力任せに方向転換するのではなく、屋台をジャッキアップして回転用の車を出す仕組みになっている。ちょっとおもしろい。
 
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