2005年5月
 
 
三番叟の童子
春の高山祭 屋台特別曳き揃え
 
 
 去る4月23日、高山へ行って来た。春の高山祭 屋台特別曳き揃えがあったからだ。
 高山といえば県内で最も有名な観光地で、特に高山祭は最も高山がにぎわう日だが、私が高山祭を見たのはこれが初めてだ。もちろん映像で見たことはあるし、高山屋台会館で屋台を見たこともある。が、日の光を浴びて風に揺れる屋台やまちなかを動いていく屋台を見たのはこれが初めてなのだ。もちろんからくり上演を見るのも初めてだ。
 
 からくり上演は、祭りの見せ場の一つ。映像で見たことはあるが、それをナマで見るのが、今回の高山行きの目的の一つ。
 上演場所の中橋公園前(陣屋前)には、早くから多くの人がそのときを待つ。上演されるからくりは、春は三つ。三番叟の童子は、鈴と扇子を手にひとしきり舞った後、浦島太郎よろしく面箱を開けて翁になってしまう(翁の面を付ける)。石橋台の美女は舞の後、獅子に変身し、龍神台では唐子が持つ箱包みから龍神が飛び出す。
 紐を引いて人形が動くというが、その紐自体は全く見えず(西洋のマリオネットとは全く違う。足の下から体の中に紐が通っている)、人形の体の中にコンピュータが内蔵されているのではないかと、つい疑ってしまう(原理を知っているのに)。
 三番叟では、はじめ何も手に持っていない童子が、舞の途中で扇子と鈴を手にするのだが、一体どうやってそれを持たせたのだろう。それはしっかり彼の手に握られている。しかも手を振っても落ちない。それどころか、彼は見事に鈴を鳴らす。ということは、それは彼の手に握られているということだ。彼が手を開き、それをぎゅっと握っているということだ。そして、龍神台の唐子はその両手に箱包みを持ち上げて歩く。包みは宙に浮いているように見える。ということは、唐子がその手に包みを抱えているということだ。──そんなばかな。一体どんな仕組みなんだろう。ああ、気になる。
 
 それはともかく、個人的には三番叟の童子の美しさに参った。いや、石橋台の女性も絶世の美女なのだが、三番叟の童子は美しいばかりか高貴なのだ。
 彼は楼の上にまっすぐ立ち、上演を待ち彼を見上げる我々を、冷ややかな笑みで見下ろしている。風が彼の頬をなで、髪が風にゆれる。しかし彼自身は微動だにしないのだ。そして時間が来ると、まるでそれが義務のように動き出す。しかしきっと、彼は舞うことが好きなのだ。なぜならその顔に笑みが浮かんでいる。
 そして、彼の高貴さは上演後の姿に顕著だ。彼は何もせず、ただ彼の初老の取り巻きたちが、彼の前に跪き、着衣の乱れを直し、彼から鈴と扇子を受け取る。きっと彼にねぎらいの言葉をかけているのに違いない。しかし彼はそれに答えず、ただ彼らを見下ろして静かに立っているのだ。
 彼は何もしない。彼はきっと舞うこと以外は何もしないのだ。生活に必要なことは何もしない。する必要がないのだ、取り巻きが彼にかしずき、身の回りのことはすべてしてくれるから。だから彼はただ、自分のしたいことだけをする。だから彼は美しいのだ。
 青空を背にただ立ち続ける彼を見てそんなことを思った。
 

 


で、三番叟の童子。


お絵かきは久しぶり。
いつものようにサインペンで塗ろうとしたら、えらくにじんでしまったので、色鉛筆でぬりぬり。


 
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